============ 最初に ============
話が抽象的でまとまりもなく何が言いたいの自分でもかわからなくなっちゃいました(爆)。
でも、ここまで書いたから載せちゃいます。
世の中には、たくさんのモノが落ちています。
※ここで言うモノとは物理的な物ではなく、情報や知識や思想とかだと思ってくださいね(漠然としすぎ?)。
モノを見過ごすも拾うもモノを見つけた当人の判断ですよね。
残念ながらソレを拾っても得するだけじゃなくて損するときも有ります。。。
例えば、ニュースでたまたま映された外人さんが「会社の人」にくりそつで、その人を見る度にテレビの外人さんを思い出したりとか。。。
いやぁ、実際辛いのですよ。
毎日「おはよぉございまぁす」って声を掛け合って、目に飛び込んでくるのは先日のニュースで映し出された外人さん。。。
眠い朝の一発目がソレです(笑)。その人が外人さんに見えて仕方ない。。。
そんなモノはとっとと捨てたいのですがそうもいかず。。。
外人さんを見るようになり、もう4日目になります。。。
早く「会社の人」に会いたいです。
突然ですが、人間には誰にでも(命の)リミットってのがあります。
ご自分のリミットってどなたか知ってます?
僕は知りません。意外に映画みたく3秒後だったりして(爆)。
さて、生きる上で必要なモノってなんなんなのでしょうか?
ある人が十代の時の僕に言いました。
「モノは振り返れば自ずと付いてくる。ただ、付いてくるモノの量や大きさ好き嫌いは自分次第。好きにやってみ。」と。
その時は、?????でしたが。。。
たしかに、そうかもしれないです。と、最近、感じるのです(もしかしたら違うかも(汗))。
自分の歩んだできた「結果」がモノなのかもしれないです。
今が結果であり、経過ではない。
だって、3秒後に死んでるかもしれないし(爆)。死んじゃったら経過も結果になっちゃいますし。。。
そういう考え方も有りかなと(これって、ネガティブですか?)。
注)
僕も死ぬのは怖いですよ~。子供の顔、嫁さんの顔すら見てないし、なにより老衰で死ぬのを目標としてますから。
もちろん畳の上で(笑)。
知りたいコトは「生きていく上での必要なモノ」。
必要なモノの一部かもしれないけど、「判断すること」も含まれるかもしれません。
そう、僕は「判断基準」を求めているのかもしれないです。
①モノを拾う → 誰かに喜びを伝える → 誰かと喜びを分かち合う。
ってのと、
②モノを拾う → 一人で喜ぶ。
僕は「壱諭吉と壱千諭吉を拾いました。」、とします。
壱諭吉 = ラッキーなので①にしておく。
壱千諭吉 = 殺されるかもしれないから②にしておく。
壱諭吉と壱千諭吉じゃ他所様の反応もエライ違いですもんね(爆)。
あ~、一人で納得してごめんなさい。↑こういうことが知りたかったのかも。。。
でも、誰が?何が?教えてくれるんでしょうね。
セクハラする政治家さんたちでしょうか?虐めに参加する悪ノリする教師でしょうか?
そもそも他力本願がいけないのかな~。
自分達の子供(僕、独身です)達は、僕達がそうであったように大人を見て育ちますよね。
その大人たちは「的確に判断し、対処します」ってことができるのかなぁ。。。
自分自身が心配ですね、ホント。
今秋、読書の秋ということで「携帯の取説」を読破した僕は携帯の知識が増えました。
「お~、こんな便利の機能が!」と新たなる発見。そして、その便利機能を使ってる今日この頃です。
はたして、コレも僕が知りたいコトだったのかな~。
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